討論会 「障害のある子どものためのデジタル教科書の在り方を考える」 主催:東京大学先端科学技術研究センター バリアフリー系 日時:2010年9月5日(日)13:30〜16:00 場所:東京大学先端科学技術研究センター 4号館2階講堂 記録:高橋麻衣子 【討論会趣旨】中邑 13:30〜 近年,デジタル教科書やデジタル図書の開発,普及が急速に進んでいる。デジタル図書については,大半の人が「単に録音をすればいい」と思うかもしれないが,それほど簡単なものではない。 そこで本日,このデジタル教科書について研究室の研究員たちがデモを行ない,それについてそれぞれが議論し,指定討論の先生方にもご意見をいただくという場を設けた。この会では,まず前半に本研究室で毎週行なっているように新しい機器や情報についてデモをして気楽に議論を行なう。そのような議論を通して,みなさんと情報共有をはかる。その後,これらの情報をふまえて,指定討論の先生方のご意見をうかがい,みなさんと議論していきたいと思っている。 【肢体不自由や発達障害にとってのデジタル教科書の意味と課題】河野 13:40〜 *資料参照 河野:デジタル教科書はプリント障害への支援ツールになるか?発達障害の子どもにとっては強力なツールになると考えている。 【視覚障害者・盲ろう者にとってのデジタル教科書】大河内 13:55〜 大河内:昨日の産経新聞に田原総一郎さん「デジタル教育は日本をほろぼす」の書評が掲載されていた。また,デジタル教科書に反対するようなシンポジウムも開かれていると聞いている。いろいろな立場から,このデジタル教科書についてきちんと考える時期にきていると考え,今回参加させていただいた。今後の議論のきっかけになればよいと思っている。 *資料参照 中邑:アイフォンは使わないのか? 大河内:個人的には触る前に触るものがわかっていないといやなので,おもちゃとしてはいいけれども実用性については,らくらくフォンのほうがよい。 中邑:ニュースは聞くほうがいいけれど論文は読みたい? 大河内:ニュースや小説は聞き流せるけれども,論文は手で読むほうがよい。 【デジタル教科書をアクセシブルにする技術】近藤 14:15〜 *資料参照 近藤:教科書デジタル化の利点と問題点を正しく知るために現状を知ることが大切である。 品川:Worstな実践を知りたい 近藤:資料参照,中身を考えないと結局は使えないということである。 【デジタル教科書をアクセシブルにするTTSなどの支援技術】岡 14:35〜 ・Text to Speechのデモンストレーション:Wordで作った文章を読み上げる 中邑:大河内くんが言うほどの読み誤りがなかった。「中邑賢龍」は「ナカムラケンリュウ」と読むか? 岡:「ナカユウケンリュウ」と読んでしまった。このような場合は,文字の登録をしておくとよい。スピードも表示も変えることができる。文字に合わせていろいろとカスタマイズができるのがよい。このTTSはNatural Readerという無料のもので,音声エンジンはペンタックスが出しているVoiceTextの「みさき」という女声である。男性の声でゆっくり読み上げることもできる(デモ)。 大河内:もっと人工的な声で速く読み上げられるものもある。きれいさよりも必要な文字情報を得るために使っていることもある。 中邑:漢文や古文など縦書きのものも読めるのか? 岡:学校の教科書によく使われる縦書きについては,もちろん読むことができる。漢文の白文は読むことができない。書き下し文をひらがなで書けばもちろん読むことができる。漢文だろうが数式だろうが,画像にして代替テキストを貼り付ければPC Talker等のスクリーンリーダーで読むことができる。PC Talkerのデモを行なう。 大河内:TTSとスクリーンリーダーの違いについては,スクリーンリーダーは画面に書かれているものを読み上げるもので,ユーザーの操作に忠実に従うもので,TTSはそれを支えるものである。 ・DAISY 書籍のデモンストレーション:ごんぎつね 中邑:一つ一つの文単位で肉声を録音したものを貼り付けているということ。 河村:DAISY形式のもので,クリックした箇所を読むようにできるソフトはある。文単位,単語単位で読むことができる。DAISY書籍でも,TTSで読みたいとき,スクリーンリーダーで読みたいときはそのようにすることができる。TTSではルビ付きのものを2度読みしないことができない。もともとの教科書と同じようにするには縦書きでルビ付きのものにするが,TTSでは2度読みしてしまい,肉声にしたほうが特に低学年の教科書にはよいと考えている。しかし,機能としてはスクリーンリーダーで読ませることもできる。 【デジタル教科書のフォーマット―PDF,Word,DAISY,EPUB,HTML5?―】 巖淵 14:50〜 ・iPadのデモンストレーション 巖淵:まずPDFファイルを提示するが,PDFはレイアウトを保持するという特徴をもっている。電子書籍を提示できるものとしてはiPadだけでなく,iPhoneもあるが,画面が小さい。PDFのレイアウトが保持されているので,小さい画面ではスクロールする必要がある。このレイアウトの保持がされず,画面サイズに適切にあわせることができるのがEPUBである。障害のあるお子さんは文字を拡大したり,行間を調整したりしたいことがあるが,EPUBだとテキストのレイアウトが保持されないので,適切に調整して提示することができる。 *それぞれのフォーマットの利点等は資料参照→これら5つのフォーマットが同列に並んでいるかというと,そういうわけではない。 河村:現在開発中の新しいDAISY4では,サブセットの中にEPUB3を位置づけるようにしている。最終的にはHTML5にもEPUB3にもコンバートできるものを目指している。 中邑:発達障害の子には複雑なものは必要ないとも思っている。すぐ手に入ってすぐに使えるものがほしい。 【デジタル教科書をアクセシブルにするコスト】近藤 15:05〜 *資料参照 近藤:一般的な設備などの問題から,教科書バリアフリー法の制約,時間的コストの重要性なども存在する。 中邑:体制が整っていないというのは法的に許可されていないということか? 近藤:教科書から一部を取り出して音声データとして,ある児童生徒に教室で使うのではない目的で渡すことは難しい 中邑:テキストデータが出てくれば,完全ではないにしろ障害を持つほとんどの子どもをサポートできるのに,一番必要なその部分がひっかかっているということか? 近藤:最低限テキストデータがあれば読むことができるが,それができない。そこを変えていく必要があるだろう。 中邑:視覚障害のある子どもは使えているようだが? 近藤:点字や拡大図書に使用することはできるが,テキストデータだけをとりだして支援技術で使用するというのは難しい。 河野:*資料参照 視覚障害者,読み書き困難児童の推定数 中邑:簡単にテキストを手に入れたいというニーズは多いのに,そこまで到っていない。 近藤:具体的なコストについて*資料参照 【休憩】15:30〜15:40 【指定討論】15:40〜16:40 中邑:テキストデータさえあれば支援が容易にできる子どもたちがいる。これらのデータをどうしたら速く届けることができるのかを中心に話を進めていただきたい。まずは,それぞれの先生方に自己紹介とこれまでの議論についてのコメントをいただきたい。 樋口(文部科学省特別支援教育課,発達障害教育担当): 今回の話は読み書き障害のある子に対してどんな教科書を提供していけばよいのかということに関連してくるので,興味深く参加させていただいた。 なぜ個々の児童にテキストデータが届かないのかというと,教科書バリアフリー法がそのような法律ではないからである。この法律は子どもではなくて教科書をつくる人にテキストデータを提供する法律であり,この法律にのっとると個々にテキストデータが届くということはない。個々の児童にテキストデータを届けるためには法律の見直しが必要なのかもしれない。 教科書バリアフリー法ができたときに大きな問題であると思ったのは,誰(どの程度の読み書き障害)に渡すのか,その審査が難しいということである。例えば,拡大教科書は使いにくくコストがかかっている。不便であるが,障害がある人はこれがないと勉強できないからという理由で使用している。読み書き障害がある子どもがデジタル教科書を使用したときには,周りの子どもがうらやましいと思ってしまう。そのため,今までの障害がある人への複製した教科書の提供との状況や基準が違う。全員にデジタル教科書が配られ,その利点が還元されるとすればそれはよいと思う。 品川(教育ジャーナリスト): デジタル教科書に賛成反対という前に、そもそもの議論がall or nothingになっている気がしている。デジタル教科書にしたら紙の教科書はなくしてもいいのか、その議論がされていない。また、何をもってデジタル教科書とするのかについての議論もなされていない。そもそも、教育界はエビデンスベースで話を進めていかないところに問題があると常々考えている。デジタル教科書にするとコミュニケーション能力やアカデミックスキル、問題解決スキルなどがどれくらい向上するのかなどというような比較調査研究をふまえてデジタル化をすすめていくかどうかを検討すべきではないか。実際にどういう効果があるのかないのかについての具体的なエビデンスがないまま議論を進めるのは、どんなことにも副作用はある以上、危険だと考えている。 さらに言うなら、視覚障害などの“わかりやすい”障害はよいが,認知に偏りがあるとか学習スタイルが異なる(ひたすら書くだけでは覚えられないなど)というような、一見課題があるようには見えない発達障害等の子どもたちにとって,デジタル教科書はどのようなメリットデメリットをもつのか。教育の機会の平等についても考慮しながら議論したい。 藤堂(NPO法人EDGE): 最近は大人になってディスレクシアになった人たちの支援も行なっている。このような人は,全然読めないというわけではなく,音に変えたときの正確さや疲労度が違う。子どもたちに対しては港区と共同で支援を行なっているが,2,3年で教室にいることについては克服ができるようになる。このときにデジタル教科書は一つの支援のツールでしかないということを念頭においてほしい。読み書きができなくても他にいいところがあれば,学校は卒業できる。一方で,教科書の内容がわからない,みんなと同じ速度で知識の習得ができないというように教育の機会がそがれている子どももいる。そしてそれについては気づかれずに,他の能力でカバーして大人になった人もたくさんいる。 教科書バリアフリー法は,ふつうの教科書にかわるものを使ってもいいということであるが,それによる制約もできた。我々は紙媒体の教科書を使い,聴覚情報だけでは知識の吸収が難しいこともある。そのため,紙媒体が基本としてあったうえでそれを補うものという位置づけが適切である。また,現在の教科書バリアフリー法は学校が申請して学校の中で使うものになっており,家では使えない。家で予習復習をするために使えるようになれば,授業中に特別なことをしなくてもついていける子どもが多いと思う。 できるだけ迅速に手に入り,安価で,フォントや行間などニーズにあわせたかたちになるようなものがほしい。そのためには,基本の技術はとてもシンプルであり,加工しやすいものがいいと思う。デジタル化すればいいかというとそれだけではなく,手で触ってわかるという教科書も必要であると考えている。デジタルだけではなくて,他の感覚を使うものも必要であると考えている。 石川(静岡県立大学教授、視覚障害当事者): アクセシブルな電子教科書があれば十分だという誤解が広がっているとは思わない。 前半の報告にあった点に加え、教科書だけがバリアフリー化すればそれでいいということではなく,本や情報全体のアクセシビリティも必要だということを指摘したい。勉強は教科書だけで行なうものではなく,科学雑誌や小説など様々な本を読む必要がある。アクセシブルな教科書の保障だけでなく広く読書バリアフリーを実現する必要がある。  モバイル電子機器で本を読みたくて「自炊」という,裁断機で裁断して,スキャナにかけてPDFをつくる健常者がたくさんいる。そして,それを代行する業者もいる。透明テキストPDFは検索のためになら使えるし安価でよいが、音声読み上げによる読書のためには校正が必要である。校正までやるとしたら費用は最低でも2万円くらいである。  現在,本屋雑誌のオンライン配信プラットフォームの争奪をめぐる激しい競争があるが、アクセシブルな電子書籍の提供を真剣に考えてくれる企業または企業群とパートナーシップを組みたい。  DAISYにも規格や実装上の課題はある。日本で使い込んでいけば,規格や実装の足りないところが明確になり、開発へのフィードバックができる。これまで使っていた道具がなじんでいて,それを変更するコストは大きいためにそれを捨てがたいということもあるが、これが解決しない限り使わない,と言う人はたとえ理由にあげたすべての問題が解決しても使わないということが少なくない。使わない理由はしばしば言語化されない。新しいものの可能性を評価し思い切って使い出す人がいないと前に進まない。使いはじめなければブレイクスルーは起きない。道具の評価は使う前と使った後では変わる。自分にとっての有用性であっても、すでに使っているものといまだ使っていないものを比較することはできない。 河村(DAISYコンソーシアム会長):  大河内さんの盲ろう者の話の中で「他の障害との汎用性を含め,障害当事者の意見をふまえた議論を」という言葉に感銘をうけた。真実の全体像は中々見えてこない。それぞれ自分が関わる領域でこれは間違いないということは言える。意見が出せない、情報が入ってこない、という人たちの意見もふまえて全体像を描いていくことが特に教育という場では重要である。そうでないと教育が特定の障害のある人々を排除し、その人々は社会参加も難しくなる。  そのように教育を考えると、自分で読める教科書を手に入れ、その教科書をもって授業に参加し、読みたい時に読めるということは最低限の権利である。これを保障するのが本来の教科書バリアフリー法の役割。それぞれの地域で使っている教科書が自分の読める形式で提供されることが必要。根本的解決は、各出版社が障害のある子も読める形式の教科書を提供すること。教科書は文部科学省が買い取っているのだから、買う条件にそれを入れるべきだ。次にどのような形式の教科書かとなるが、そこで先ほど述べたように、汎用性を考慮しながらさまざまな障害がある人の声を集めるべきだ。こういうデジタル教科書がよいという子もいるだろうし、違うものが良いという子もいるだろう。いずれにせよ自分で読める教科書を持つという点で対等の条件を手に入れることが大事。このように考える中で、今論議されているデジタル教科書がプラスになるかマイナスになるかを考えていきたい。  近藤さんの「アクセシブルなデジタル教科書」神話という主張については、自分はDAISYがまだ神話と言われるほど世間に知られてはいないと思うし、この「神話」はDAISYとは全く関係が無い話だと思う。  教科書の様々な態様に耐える規格にしようというのが国際的なDAISYの開発目標である。教科書には数式、化学式、統計、表などがあり、これをそのようにきちんと読めるようにすることが技術的に難しい。テキストデータはシンプルで便利なものだと私も思うし、テキストデータが欲しい。難しい漢字にルビがついているものや数式をテキストデータでどのように提示するのかの工夫が必要。DAISYは、テキストデータをもとにxmlの書式でマークアップして様々な形で使えるようにしようとしている。テキストデータがあり合成音声で良ければ、ワープロにテキストを入れて簡単な編集をすると自動的に合成音声とテキストがシンクロし画像が入ったDAISY図書を作成するTranslatorというソフトもある。絶対に読み間違いが無い、国語の教科書の通りの縦書きでルビもある質の高いものを提供するには当然手間もかかる。テキストデータの表示と合成音声で十分だがDAISYの便利さもほしい場合は、DAISYに自動コンバートする方法もある。  技術はどんどん進歩していく。今DAISYは、手話も欲しいというニーズへの対応も含めた国際的な共同開発による機能向上を、常に誰もが中身を見ることができる開かれた国際的に通用するプラットフォームの上に進めている。これは教科書だけのことではなく、生涯を通じて読みの支援が必要な人々も、また、今は読めるけれども高齢になって読めなくなる人々も、出版物や図書館のサービスから疎外されない社会のあり方を考えて進めている。 中邑:DAISYには録音DAISYとテキストDAISYがあるが,プライオリティというものは考えているのか。国が音声エンジンを買い取ってパブリックドメインにすればスタンダードになると思うが,どのようにお考えか。 河村:自分自身はテキストファイルを使いたいと思っている。日本のこれまでのDAISY録音図書利用者の平均年齢は65歳以上だったと思う。小説等の人生を豊かにするための読書のニーズが中心でやってきた。日本でテキストを含むDAISYの普及を阻んだのは著作権法の制約。そこで十年来本来のDAISY製作を可能にする著作権法改正に取り組んできて、やっと改正著作権法が今年1月に施行されたので、これからは、質の高い音声合成技術の開発と共にテキストDAISYも普及することを期待している。 中邑:録音がどんどん増えていったとしたら,他の障害のある人が使いにくいと思っていた。録音に限らないなら障害を超えていけると思う。出版社からどのようにデータ提供を受けるのかも必要である。DAISYで出せというときのハードルの高さ,プレーンなテキストで提供せよというハードルの低さというものもある。 デジタル教科書はツールに過ぎないという意見もあったが,読める教科書を届けるというのは権利であるという点では河村先生と意見は同じである。 品川:本人に選択権があるべきだというのが大前提である。作る人はPDFがもらえるのに当事者にはそれが渡らないということが問題ではないか。DAISYやデジタル教科書になったら今までできなかったことができるようになるのかというと,そういうわけではない。発達的な課題は適切な指導は必須であり、デジタル教科書にするのであれば、それとセットでどういう教育を行っていくのか戦略的な実践が重要になる。例えば,小さいうちに音韻の訓練をすれば読み書き困難の底上げができる。そういう指導抜きでデジタル教科書にしてしまうことは、かえって子供たちの将来の可能性を狭め、リスクをあげることになる。実際、就労不安定者の苦手意識の調査で,読むことが苦手なのが25%程度,書くことが苦手なのは30%程度いることがわかっている。そういった苦手さの訓練をした上での,読み書きのツールであると考える。そもそも教育というのは出会った情報をどう整理して理解するかということだ。デジタル教科書を否定するわけではないが、前段階の議論や実践が必要で、その上での話だと考えている。 藤堂:デジタル教科書に反対というわけではなくて,私は読み書きの困難があるけれどもデジタル教科書がなくてもここまで育ってきた。これは工夫する力がついたからである。そういう力をつけることを考えると,みんなと同じスピードでどうしてもやらなければいけないときに補助的に使うという考え方がいいのではないかと思う。 苦手意識については,学校で大丈夫でも社会に出て,履歴書を手書きとかマニュアルを読めとか,大人でも困ることがある。大人の世界ではデジタル化されていて,文字が書けなくても大丈夫なのにその入口の段階で困難がある。本人の違う能力が育つということも頭にいれて議論していきたい。 中邑:石川先生は最初から完全である必要はなく,使いながら改善すればいいとおっしゃっていた。私は素材さえあればいいと思っている。それを使うことによって子どもたちがどのように変わっていったかを示すことが重要であると考えている。 石川:実践報告に耳を傾けることが必要である。今日は実践報告がなかったが,アクセシブルな電子教科書が現場の教育実践でどう使われ、子供たち、先生、ご両親はどのように評価しているのか知りたいと思う。 河村:自分は直接確かめないと信じないほうだが,私が直接支援にかかわってきたお子さんの中には,確実にDAISYが役に立っているディスレクシアの診断を受けている複数のお子さんがいる。ごく限られた数の直接出会えた人の中にすでにそのようなお子さんがいるということは、世の中にはもっと多くのそういうお子さんがいるということだと思う。そういう子どもたちにもっとDAISY教科書が普及してほしい。特に中学校の普通教室にいる学習障害の子供たちへの支援が無い状態は最悪。内申点にもかかわるのでテストの公平性が微妙な問題になり、読みに障害がある子どもも普通のペーパーテストを同じ時間で受けていて、読み上げされていたらできていたのかもしれないとか、一人一人の伸びしろを測る本来の評価はどうするのかという問題を感じる。何も支援が無い中で、せめて自分で読めるDAISY教科書を手にしたいと思う子どもたちはたくさんいると思う。 中邑:河村先生にお聞きしたいのはDAISYでないとだめなのかということである。授業中だけでなく,予習復習のためにはテキストデータだけでもいいのではないか。 河村:多勢が使う教科書としては,製作のイニシャルコストは分母が大きければあまり問題ではない。ディスレクシアの子どもたちの場合は読みたいと思えば自分で工夫することが期待できるので、それぞれの子どもが自ら読むことの楽しさをどこかでつかむことが重要である。DAISY制作用に提供されるPDFファイルがそのままシンセサイザーで読めるのであれば,そのまま使えば良いのだが、ルビは二重読みし、数式があるページは読めなくなっているのが実態で,予習復習のためだけにでもDAISYでつくらないと読めない場合が多い。 石川:ふりかえると,意識的、無意識的に、テキストファイルで読めるようなものを選択的に読んできた。私だけでなく多くの視覚障害者は表や数式を取り扱わなくてよいような分野に進んできたように思う。そうやって適応してきた。このような制約から自由になるには多様な構造情報をマークアップできる表現力の高いデータ形式が必要である。 中邑:質の向上も大事であるが,肢体不自由を含めたすべての子どもに,使える教科書をとにかく届けることが大事だと思っている。 中邑:質の向上も大事であるが,肢体不自由を含めたすべての子どもに,使える教科書をとにかく届けることが大事だと思っている。 品川:すべての子どもに使える教科書が届けられていない実態がある以上、教科書バリアフリー法制定の理念が現実に即していないことを再度考えなければいけない。繰り返しになるが、発達障害は千差万別であり,DAISYを使ったほうが読めるなら使えばいいし,DAISY以外がいいのであればそうすればよい。選択肢が増えることが大事であり,権利保障につながる。どういう教科書を使うかについて健常者が「これがあるんだからこっちでいいじゃない」というのは傲慢ではないかと思う。そういうのであれば、やはりデジタル教科書を使ったときの比較研究をして,そのデータもとに「こっちのほうが効果が高い」「費用対効果がいい」などと議論すべきであろう。読み書き困難の子どもたちに対して、早ければ早いほどデジタル教科書をわたせばいいという意見もあろうかと思うが,すべての活字情報が音声化されていない現実がある以上、自立を視野に入れればある程度は自分で読めるようになる必要がある。また、デジタル教科書になって、情報もソートされ簡単に調べられるようになると、本来必要なスキルである情報を理解したり工夫して整理したりするような力が育たちにくくなる可能性も否定できない。そうするとやはり困るのは子ども本人である。 石川:少なくともいまの段階ではテキストDAISYにするだけなら,制作コストはテキストファイルとそれほど変わらない。現状のDAISYプレイヤの実装を前提にすれば、見出しとページをマークアップするぐらいの作業である。 河村:テキストDAISYにもいろいろなレベルがある。規格としてのテキストDAISYは人間の音声を含まずTTSで読み上げるDAISYということで、数式も表も読めるものなど、実装にはいろいろなバリエーションがある。 石川:少なくとも日本ではオーサリングツールとコンテンツとプレイヤの実装がまだ追いついていない。まだコンテンツがほとんどないのだからやむをえない。いいかえれば伸びしろがたくさんある。ところで確認だが、中邑先生は肢体不自由はテキストDAISYまでは要らない、PDFがあればいいと言われたが、であれば自炊代行が一番簡単な方法だということにならないか。 会場より(肢体不自由の養護学校の教員):だめだと思う。指がほとんど動かず,ページをめくって情報を探すことができない。やはりEPUBが必要である。 中邑:会場のみなさんから何かありましたらどうぞ。 福井(日本ライトハウス):墨字の教科書から点字の教科書を作る仕事をしている。普通の子がみている墨字の教科書を点字や音声にするのに何に苦労するかというと,イラストや模式図などが多くつかわれていて,これらは内容を伝えるためではなくて子どもの気を引くためであり,文章のほうにこれらのイラストや写真を使う意図が書いていない。これらをデジタル教科書にするにはどうするか。きっとコンテンツ会社は動画などを使用して,子どもたちの気をひくための大人の気を引こうとする。これは非常にコストがかかる。少なくともテキスト部分はアクセシブルに,というのはまったくそうなのかもしれないけれど,デジタル教科書にすると今より悲惨になることもあると懸念している。 樋口:当事者に読みやすい教科書ということで,いくつかの教科書会社が配慮し始めている。例えばカラーバリアフリーや,発達障害児のために,文末と文頭で単語が途切れないようにしている。日本の教科書はいろいろ作られており,それらを採択する地域によって異なる。採択するときに当事者の声を反映させる必要がある。カラーバリアフリーやLD の子に使いやすい教科書が採択されていないと,教科書会社がそういった努力をしなくなる。また,来年度以降は20社以上の教科書会社が電子黒板等で使える指導用デジタル教科書を作る予定である。これらが正しい方向に進むためには,当事者の声が必要であると考えている。 品川:大人から見て「子どもがおもしろいと思うであろう」と推測されたものが選ばれているが、発達的な課題を持つ子どもの視点で考えると、教科書に漫画が入っていて読みにくかったり、多色使いで何が重要か分かりづらかったり、レイアウトそのものがごちゃごちゃしていたりするような教科書が多い。教科書を選択する人たちは発達障害やその傾向のある子どもたちがどういうふうに見えたり聞こえたりしているか、物事を理解しているか、情報が多いとどうなるかなど特性を知っていなくてはいけないし、教科書会社にも子どもたちのニーズをより具体的にアピールしていく必要がある。どう世間に訴えていくかというのがひとりひとりに求められることだと思う。 中邑:漫画をとってしまったほうがいいという人もいれば,そうではないという子もいるということは伝えておきたい。このようなことをふまえて,例えば邪魔な情報にはシールを貼って隠すなどの工夫が現場の先生に必要だと思う。 今日のような議論は非常に大事であり整理してHPにアップする。またこのような機会を継続的に設けていきたいと思っている。今後は我々がデータをまとめて提供していきたいと考えている。教科書のアクセシビリティについては,障害を見る視点と一緒に考えていく必要があると思う。